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福岡地方裁判所小倉支部 昭和43年(わ)179号 判決

主文

被告人は無罪。

理由

一、本件公訴事実は、

被告人は自動二輪車の運転を業とする者であるが、昭和四二年七月二日午後五時四〇分頃、自動二輪車後部に友人井上治(当時二一年)を乗せて運転し、福岡県築上郡椎田町湊所在福岡県椎田地区干拓堤防上を進行中、自動車運転者たるものは、無謀な高速度運転を差控え事故の発生を未然に防止すべき業務上の注意義務があるにも拘らず、これを怠たり漫然時速七、八〇粁の高速度で暴走したため、把手操作を誤まり堤防右カーブの外側、コンクリート電柱に前記自動二輪車を接触させ、同乗者井上治を右電柱に激突させて、同人に対し脳挫滅傷等の致命傷を負わせ即時同所において死に致したものである。

というにある。

二、よつて案ずるに、

(一)  まず、〈証拠〉を総合すると、被告人と井上治とが、昭和四二年七月二日午後五時四〇分頃、自動二輪車に同乗して、福岡県築上郡椎田町湊所在福岡県椎田地区干拓堤防上を高速度で進行中、被告人か或は井上治か、そのいずれかが運転操作を誤まり、右堤防左側端のコンクリート電柱に接触し、井上治が右電柱に激突して脳挫滅傷等の致命傷を負い、即時同所において死亡したことが認められる。

(二)  そこで、右事故当時、被告人が本件自動二輪車を運転していたものであるか否かについて以下検討する。

(1)  さて、右自動二輪車に乗つていた二名のうち井上治は本件事故により死亡し、他の一名である被告人は頭部打撲によつて逆行性の記憶喪失を来たし〈証拠判断略〉、また、事故の瞬間にこれを目撃した第三者もいないため、運転者が何れであつたかを知るための直接の証拠はなく、結局本件はいわゆる情況証拠によつて判断するほかはない。

(2)  この点につき、〈証拠〉によれば、事故の直前(約五分前頃)に現場付近で被告人が前部運転席に、井上が後部補助席に乗つて走行していたことが認められるが、同時に右各証拠によれば、被告人らは当時現場付近の堤防上を何回も往復疾走して自動二輪車の走行に興じていたことも窺われ、これに現場付近の場所的状況や被告人と井上との従来の交遊関係(被告人の供述によれば、現場付近は自動二輪車で疾走するのに恰好の場所として従来から利用していたこと、井上も運転免許を有し、被告人と井上とは本件以前にも自動二輪車に相乗りし互いに運転した経験が二、三回あることが窺われる。)を併せ考えると、右久美田、細見両名の目撃のみをもつて直ちに事故の瞬間においても被告人が運転していたものと断定することはできない。また、現場付近の状況に関する前掲各実況見分調書によれば、現場の防波堤壁面に井上がはいていた茶色の草履によるものとみられる擦過痕が地上からの高さ約三五センチメートル(終端は約四二センチメートル)の位置に長さ約7.5メートルにわたつて残されており、一方、被告人の青色草履の擦過痕は電柱上高さ約二三センチメートルの位置にあることが認められ、これに本件自動二輪車の運転席及び補助席の高低(後者のステップが前者のそれよりも約2.5センチメートル高い)を比照すると、井上が後部補助席に乗つていたとみるのが一見妥当と言えなくもないけれども、これとても、〈証拠〉により指摘されている如く、衝突の直前において前部運転席にいたと目される井上が足を持ち上げたため、高い位置に擦過痕が残つたと解する余地もあるので、両者の乗車位置関係を確定する資料とはなし難い。なおまた、井上治は後記説示のとおりその左手がいささか不自由であつたわけであるが、それだからといつて同人が本件自動二輪車の運転をなしえなかつたという確証はなく、むしろ、前段所述の如き同人の自動二輪車運転歴や〈証拠〉により認められる、井上治が当時新聞配達などのため足踏式自転車に乗つていた事実などによれば、当時同人がこの種自動二輪車の運転をなし得たことを確認するに難くはない。

(3)  かえつて、〈証拠〉によると、自動二輪車が電柱に衝突した場合、一般的に言つて直接電柱に激突することとなる運転者の方が身体の蒙る損傷が大きく、後部同乗者の方が身体の損傷が比較的軽微であるとみられるところ、本件事故により井上治は死亡の原因となつた脳挫滅傷のほか、鼻骨、上下顎骨・肋骨(四本)の骨折等身体に甚大な損傷を蒙つているのに対し、被告人は頭部・胸部打撲等による全治三週間程度の傷害を負つたにすぎないこと、および両名の衝突後の転倒位置(井上は電柱を両足でまたいだような恰好で電柱の直下に、被告人はその前方に頭を進行方向の逆に向けてそれぞれ転倒していた。)も連動力学的にみて井上が前部運転席に、被告人が後部補助席に乗車していたとの推定を可能ならしめるものであることがそれぞれ認められる。

もつとも、身体の損傷の程度については、衝突の寸前において運転者には反射的に顔面等を障害物から避けようとする作用が働くために、かえつて負傷の程度は軽くてすむのではないかとの疑問もあり得ないわけではない。しかしながら、本件の如く、衝突の直前において時速六〇キロメートル余、衝突時においても時速五〇キロメートルという高速度(前掲鑑定書により認められる)で衝突し、しかも運転者としては右衝突の瞬間まで制動措置や態勢の安定に全力を挙げていたであろうものと一般経験則上容易に推察されうる場合において、必ずしも右のような避止行動をとり得る余裕があつたとは断定し難く、結局右の疑問も少くとも本件について通ぜず、前記事実認定を覆すには足りない。

その他、〈証拠〉に徴すれば本件事故は運転操作の未熟にも一つの原因があるものとみられるところ、井上治は交通事故により左手がいささか不自由であつたこと、また、本件自動二輪車は被告人の所有であつて、その操作には被告人の方が井上よりも熟達していたであろうことが窺われる。

(三)  以上の事実及び証拠によると、本件事故当時本件自動二輪車を運転していた者は被告人ではなく井上であつたのではないかとの疑いが顕著であり、他に右の疑いを払拭するに足る証拠はない。

三、そうすると、被告人が事故当時本件自動二輪車の運転をしていたとの事実は認められず結局本件公訴事実は犯罪の証明がないことに帰するから、刑事訴訟法第三三六条により、主文のとおり判決する。(砂山一郎 田川雄三 日野忠和)

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